憲法53条違憲国家賠償請求訴訟の意義
憲法53条違憲国家賠償請求訴訟の意義
平成30年2月26日、岡山地方裁判所に対して、憲法53条違憲国家賠償請求事件の提訴を行いました。
この場で、今回の提訴の意義を説明させていただきます。
1 憲法53条
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、
内閣は、その召集を決定しなければならない」
すなわち、「しなければならない」と、内閣の義務が明記されてます。
2 安倍内閣の憲法53条無視
昨年6月22日、野党議員の連名で、衆参両院の4分の1以上の国会議員によって国会召集の要求を出しました。
しかし、安倍内閣は、この要求を98日間も無視し、9月28日に至りようやく臨時国会を開きましたが、その国会を冒頭解散しました。
この点につき、菅官房長官は、
「外交日程など内閣として諸般の事情を勘案した上で、憲法53条の規定に基づき適切に行った」
と答弁し、横畠法制局長官は、
「(臨時国会を開くまでの)合理的な期間というのは、整理すべき諸課題によって変わるものであり、一概に申し上げることはできない」
と答弁するなど、53条に具体的な期間が明記されなかったことを奇貨として平然としています。
3 憲法53条の意義
このような内閣の憲法無視の態度を容認してしまえば、憲法53条は死文化し、結局、国会を開くか否かは内閣が決めることになり、まさに内閣のための国会になりかねず、国民主権のもと、国会を国権の最高機関とし、唯一の立法機関と定めた憲法41条の趣旨をも没却し、三権分立制度をとって、内閣と国会の均衡を図った意義がなくなります。
例えば、憲法69条の内閣不信任案を決議して内閣を倒そうとしても、内閣はこれを延期することが可能となってしまい69条の意義もなくしてしまいます。
そもそも、国民によって国家の統治の枠組みを決定したものが憲法であり、内閣の独自の勝手な解釈でこれを曲解することは許されるはずもありません。国民は、全国民の代表である国会議員に信託して、国政を委任したのであり、内閣に委ねたのではありません。あくまで国会の指名した総理大臣と他の大臣で構成する内閣には行政権行使を行う権能しかありません。すなわち、立法行為はすべて全国民の代表からなる国会が独占すると定めたのです。
さらに、多数派の意向のみで国会が召集されるとすれば、少数派の意見が尊重 できないことから、衆参いずれかの議院の4分1の議院が要請すれば国会は召集できるとされたのです。
押さえておきたいのは、衆議院または参議員の4分の1のという規定です。参議院のみの議員でも4分の1集まれば衆議院を含めた国会を召集できるという点です。まさに少数派の意見だけで召集できるしたのは、少数派といえどもその意見には耳を傾けようというもので、単なる多数決原理ではなく実質的議論を重視しようとする憲法の少数派に対する人権重視の現れです。
そうすると、53条の要件を満たす要求がなされた場合、内閣は、事務処理時間や国会議員の召集までの時間などを配慮して、合理的期間内に召集日程を決定 しなければならない法的義務を負うと解する他ありません。
これを、安倍内閣は、与党と相談するだとか内閣の外交日程の都合だとか、予算案を作成するまでの時間が要るだとか、まったく独善的珍説をならべて、98日間も先延ばししたのであって、違憲・違法なのは明白です。
4 先例の意味
今まで、歴代内閣の53条臨時国会への対応をみると、確かに100日以上経って召集した例もあります。しかし、違憲の先例が何例あろうともそれによって憲法の解釈が変更できるわけはありません。さらに、これまで一度も53条臨時国会召集に関して裁判所の判断がなく未だ法的な決着がついていない問題です。今回、憲法解釈の最後の砦たる裁判所の判断を仰ぐ場面がついに来たというべきです。
憲法99条は、すべての大臣、国会議員、その他の公務員に憲法を遵守する義務を規定しています。内閣を構成する大臣みずからが憲法を守る義務があり、これを各大臣が遵守して国政を運営するならば、裁判など不要です。
しかし、憲法を無視し、曲解する内閣の場合、とりわけ選挙による是正が期待できない場合には、もはや自助回復は困難であり、裁判所による司法判断を求めて、国民が決めた憲法の枠組みである三権分立制度を維持する他ありません。現行憲法81条は、裁判所に対して、行政権行使に対する違憲審査権を付与しています。今こそ、裁判所には、憲法の力たる司法作用により、憲法による全うな政治を取り戻す責務を果たしてもらいたいと考えます。
5 国家賠償の形態
裁判所の違憲審査制は、具体的権利義務の関する争訟の場面しか機能できないことになっているため、内閣の国会召集先送りによって、国会議員の権利が侵害したことに対する賠償請求の形態をとるほかありません。
今回、岡山弁護士会の弁護士有志や伊藤塾塾長の伊藤真弁護士も原告訴訟代理人になっていただきました。そして、原告として参加した高井たかし議員の勇気なくしてこの訴訟は起こせませんでした。そして、この訴訟が先駆けとなり、さらに原告として参加する国会議員が集まることを期待するとともに、多くの市民に関心をもっていただきたいと考えます。
6 憲法の力で立憲主義を守る
昨今、憲法改正議論が活発になっています。立憲主義を弱める方向の改正は、改悪だと考えていますが、立憲主義を強める方向での改正を行うべきとする議論も出てきました。
思うに、現憲法はこれを真面目に遵守しようとするならば強力な国家権力の制約の力になりえます。
しかし、安倍政権は、いとも簡単に解釈を変更して集団的自衛権を認めてしまったり、プライバシーや知る権利の侵害の危険が高い特定秘密保護法、共謀罪などの立法を強行採決してしまうなど憲法無視の態度が顕著です。人口比例選挙違反してもしかりです。
これに対して、違憲審査権を有する裁判所は、政治部門に対する配慮から、違憲審査権の行使をなかなかしないのが現状です。そうすると、確かに、憲法裁判所の設立や、今回の53条に具体的な期限を設けるなどの改正の声が高まってくるのも傾聴に値します。
ただ、
現行憲法においても、立憲主義を守ることは、その方法によっては可能ではないでしょうか?
今一度司法権の判断を仰いでみても良いのではないでしょうか?
とりわけ、本件のように53条後段違反を問う訴訟は、憲法制定以来72年間一度もなかったのですから、現憲法の力を今一度信じて、司法判断による憲法の維持を図ろうというのが本訴訟の狙いです。
最後に、憲法12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、これを保持しなければならない」と規定しています。その意味でも、違憲審査権を有しているが、訴えない限り自分から違憲審査権を行使できない裁判所に対して違憲訴訟を提起するのは、まさに国民の不断の努力の表れであり、そのようにして憲法を維持するべきだと考えます。
平成30年3月3日
憲法53条違憲国家賠償請求訴訟弁護団代表 弁護士 賀川進太郎
平成30年2月26日、岡山地方裁判所に対して、憲法53条違憲国家賠償請求事件の提訴を行いました。
この場で、今回の提訴の意義を説明させていただきます。
1 憲法53条
「内閣は、国会の臨時会の召集を決定することができる。いずれかの議院の総議員の4分の1以上の要求があれば、
内閣は、その召集を決定しなければならない」
すなわち、「しなければならない」と、内閣の義務が明記されてます。
2 安倍内閣の憲法53条無視
昨年6月22日、野党議員の連名で、衆参両院の4分の1以上の国会議員によって国会召集の要求を出しました。
しかし、安倍内閣は、この要求を98日間も無視し、9月28日に至りようやく臨時国会を開きましたが、その国会を冒頭解散しました。
この点につき、菅官房長官は、
「外交日程など内閣として諸般の事情を勘案した上で、憲法53条の規定に基づき適切に行った」
と答弁し、横畠法制局長官は、
「(臨時国会を開くまでの)合理的な期間というのは、整理すべき諸課題によって変わるものであり、一概に申し上げることはできない」
と答弁するなど、53条に具体的な期間が明記されなかったことを奇貨として平然としています。
3 憲法53条の意義
このような内閣の憲法無視の態度を容認してしまえば、憲法53条は死文化し、結局、国会を開くか否かは内閣が決めることになり、まさに内閣のための国会になりかねず、国民主権のもと、国会を国権の最高機関とし、唯一の立法機関と定めた憲法41条の趣旨をも没却し、三権分立制度をとって、内閣と国会の均衡を図った意義がなくなります。
例えば、憲法69条の内閣不信任案を決議して内閣を倒そうとしても、内閣はこれを延期することが可能となってしまい69条の意義もなくしてしまいます。
そもそも、国民によって国家の統治の枠組みを決定したものが憲法であり、内閣の独自の勝手な解釈でこれを曲解することは許されるはずもありません。国民は、全国民の代表である国会議員に信託して、国政を委任したのであり、内閣に委ねたのではありません。あくまで国会の指名した総理大臣と他の大臣で構成する内閣には行政権行使を行う権能しかありません。すなわち、立法行為はすべて全国民の代表からなる国会が独占すると定めたのです。
さらに、多数派の意向のみで国会が召集されるとすれば、少数派の意見が尊重 できないことから、衆参いずれかの議院の4分1の議院が要請すれば国会は召集できるとされたのです。
押さえておきたいのは、衆議院または参議員の4分の1のという規定です。参議院のみの議員でも4分の1集まれば衆議院を含めた国会を召集できるという点です。まさに少数派の意見だけで召集できるしたのは、少数派といえどもその意見には耳を傾けようというもので、単なる多数決原理ではなく実質的議論を重視しようとする憲法の少数派に対する人権重視の現れです。
そうすると、53条の要件を満たす要求がなされた場合、内閣は、事務処理時間や国会議員の召集までの時間などを配慮して、合理的期間内に召集日程を決定 しなければならない法的義務を負うと解する他ありません。
これを、安倍内閣は、与党と相談するだとか内閣の外交日程の都合だとか、予算案を作成するまでの時間が要るだとか、まったく独善的珍説をならべて、98日間も先延ばししたのであって、違憲・違法なのは明白です。
4 先例の意味
今まで、歴代内閣の53条臨時国会への対応をみると、確かに100日以上経って召集した例もあります。しかし、違憲の先例が何例あろうともそれによって憲法の解釈が変更できるわけはありません。さらに、これまで一度も53条臨時国会召集に関して裁判所の判断がなく未だ法的な決着がついていない問題です。今回、憲法解釈の最後の砦たる裁判所の判断を仰ぐ場面がついに来たというべきです。
憲法99条は、すべての大臣、国会議員、その他の公務員に憲法を遵守する義務を規定しています。内閣を構成する大臣みずからが憲法を守る義務があり、これを各大臣が遵守して国政を運営するならば、裁判など不要です。
しかし、憲法を無視し、曲解する内閣の場合、とりわけ選挙による是正が期待できない場合には、もはや自助回復は困難であり、裁判所による司法判断を求めて、国民が決めた憲法の枠組みである三権分立制度を維持する他ありません。現行憲法81条は、裁判所に対して、行政権行使に対する違憲審査権を付与しています。今こそ、裁判所には、憲法の力たる司法作用により、憲法による全うな政治を取り戻す責務を果たしてもらいたいと考えます。
5 国家賠償の形態
裁判所の違憲審査制は、具体的権利義務の関する争訟の場面しか機能できないことになっているため、内閣の国会召集先送りによって、国会議員の権利が侵害したことに対する賠償請求の形態をとるほかありません。
今回、岡山弁護士会の弁護士有志や伊藤塾塾長の伊藤真弁護士も原告訴訟代理人になっていただきました。そして、原告として参加した高井たかし議員の勇気なくしてこの訴訟は起こせませんでした。そして、この訴訟が先駆けとなり、さらに原告として参加する国会議員が集まることを期待するとともに、多くの市民に関心をもっていただきたいと考えます。
6 憲法の力で立憲主義を守る
昨今、憲法改正議論が活発になっています。立憲主義を弱める方向の改正は、改悪だと考えていますが、立憲主義を強める方向での改正を行うべきとする議論も出てきました。
思うに、現憲法はこれを真面目に遵守しようとするならば強力な国家権力の制約の力になりえます。
しかし、安倍政権は、いとも簡単に解釈を変更して集団的自衛権を認めてしまったり、プライバシーや知る権利の侵害の危険が高い特定秘密保護法、共謀罪などの立法を強行採決してしまうなど憲法無視の態度が顕著です。人口比例選挙違反してもしかりです。
これに対して、違憲審査権を有する裁判所は、政治部門に対する配慮から、違憲審査権の行使をなかなかしないのが現状です。そうすると、確かに、憲法裁判所の設立や、今回の53条に具体的な期限を設けるなどの改正の声が高まってくるのも傾聴に値します。
ただ、
現行憲法においても、立憲主義を守ることは、その方法によっては可能ではないでしょうか?
今一度司法権の判断を仰いでみても良いのではないでしょうか?
とりわけ、本件のように53条後段違反を問う訴訟は、憲法制定以来72年間一度もなかったのですから、現憲法の力を今一度信じて、司法判断による憲法の維持を図ろうというのが本訴訟の狙いです。
最後に、憲法12条は、「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、これを保持しなければならない」と規定しています。その意味でも、違憲審査権を有しているが、訴えない限り自分から違憲審査権を行使できない裁判所に対して違憲訴訟を提起するのは、まさに国民の不断の努力の表れであり、そのようにして憲法を維持するべきだと考えます。
平成30年3月3日
憲法53条違憲国家賠償請求訴訟弁護団代表 弁護士 賀川進太郎
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